甲鉄城のカバネリ 1(イベントチケット優先販売申し込み券付)(完全生産限定版) [Blu-ray]
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生駒の平和ボケした正義感がウザ過ぎる
生駒の言いたいことはわかる。でもそれは平和時のみに通用することであり、あのような戦時下で生駒の正義感は通用しない。それは作品の中でもっと否定・拒否されなければいけないのだが、意外と受け入れられてしまっているのでかなり違和感を覚える。
たとえば美馬に対峙する刺客が命乞いをしたからといって、殺すな、というのは、あの世界では単なる頭のおかしい奴としか思われないはずだ。なぜなら命のやり取りをするような世界において、攻撃されてもやり返すな、というのは通用しないから。
「やられる。やらなきゃ、やられる。」by 長野原みお
生駒キャラがダメなのは、ナイーブだから。つまり、世間知らず。
一方の美馬さまは黒い。しかし戦国の世であることを考えれば、生存戦略は必須だ。生駒とは背負ってるものが違う。だからこそ民衆にリーダーとして崇められているし、それを利用し己の権力を高めることをも厭わない。強くあろうとする分、生駒よりも現実的だし、あの世界の英雄としてふさわしい。
こんなやり取りがある。
美馬『「強い者が生き残り弱い者が死ぬ。それは世界の理だと思わないか? 」
生駒「でも弱い者には生きる権利がないって話ならうなずけません」
美馬「それはわかる。しかしこれは切り捨てる話ではなくむしろ救う話だ。(中略)生きるために大事なのは、隠れて身を守ることではなく、怯まずカバネと戦うことだ。」
これは生駒が「弱い者は死んで当然。そう無名に教えた方ですよね。」と美馬につっかかるところから端を発したやり取りだ。これにより、美馬が弱いものに生きる権利がないとは一言も言ってない、ということに生駒も気づき、はっとする。もちろん美馬の本意はわからない。しかし生駒のような真っ直ぐな人間をどう籠絡するかを心得ていた。美馬の方が一枚も二枚も上手なのだ。
そもそも、無名の話を一方的に聞いただけで、美馬に怒りを覚えた生駒は相当な平和ボケだろう。おまえは21世紀の日本に生きてるのかよ、と言いたくなった。
そりゃ、子供から老人まで弱者全員を救えるならそれにこしたことはない。しかし残酷だが、それはあの世界のおける現実ではない。弱き者は強くなるしか生き残る術はないのだ。だから無名も自ら選んでカバネリとなった。その設定を揺るがすような生駒のキャラクターは、この作品の世界観としてはふさわしくない。
生駒は、無名が美馬によって人造カバネリにさせられ、戦闘マシーンとして利用されていることに対し、もっと怒りを覚えるべきだったし、それを演出すべきだった。なぜなら生駒の言う弱い者とは無名のことだからだ。無名のような幼い女の子をカバネリにするなんて許せない、という主張だったら、心情的には理解できた。しかし、弱い者と大きなくくりにして、あたかも彼らの代弁者としての生駒、にしてしまったから薄っぺらい正義感をただ振り回すうつけ者にしか見えなくなってしまったのだ。
生駒の正義感は、国会前で「戦争法案反対」を叫ぶ人たちと同じ程度でしかない。だから薄っぺらい。
いじょ。
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