俺たち(堀川憲司&岡村天斎)がメインでエヴァを作るならこうする、というのが『クロムクロ』の根底にあることが明白になった第七話だった。『キルラキル』が日本アニメの集大成であったのに対し、『クロムクロ』は日本ロボットアニメの集大成になるんじゃないだろうか。
ロボットアニメの定番
ロボットアニメの定番通り、由希奈が「もう乗りたくありません」と言い出しまして。
「死ぬのも死なせるのもイヤ」という命のやり取りをする戦いに参加したくないと思うのは、普通の、しかも由希奈のような平凡な女子高生にとってはあまりにも当たり前のことです。だからきちんと「わたしロボットに乗るわ」と決断するまでの葛藤は描かなければいけません。もちろん動機も。
次。
で、由希奈のもう乗らない発言を受けてママンは、「由希奈はもう乗せません。」と、母親として、宣言してしまいます。
所長という立場を危うくさせてでも母親として由希奈を守る、という強い意志が見えました。碇ゲンドウとは違います。ただ、それを愛情と勘違いしているようなキライがあり、親としての未熟さが様々な描写から判明していきます。例えば、由希奈を平手打ちするシーンも、母としてではなく、完全に一人の女としてイラッとしてましたしね・・・。高校生の子供がいるにも関わらず、親としてさっぱり成長できていないのです。由希奈の父親が突然失踪したことで親としての役割をきちんと果たさなければ、みたいな思いが空回りしている。それがママンです。
由希奈とママンが台所で二人、黙々と餃子を作り続けるシーンがあります。親子であれば例え無言であってもまるで対話をしているかのように流れていくはずですが、由希奈とママンの間にそのような空気は存在しません。さらに一緒に作った餃子を一緒に食べず、国連からの呼び出しに、家庭の問題が片付かないまま家を出てしまう辺りにも、ママンの未熟な母親稼業を表しています。
ま、小春なんてもはや存在しないものとしてほっぽられてましたし。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」って広く勘違いされてるよね?
ソフィーが『葉隠』を暗唱できるとか、設定が憎い。
由希奈に対して理解を示す人々が多い中、ソフィーだけが由希奈にしかできないことをしないで逃げるのは卑怯だ、という武士道精神を突きつけます。
武士道とは死ぬことである、のような勘違いが日本社会に広まっており、武士でもなんでもない人たちに限って武士道武士道言うけどいろいろ間違ってるよ、という隠れたメッセージがありそうな気がします。
武士道とは、戦いの帰結として死ぬことはあるかもしれないけど、決して死の美学を説いているわけではないことを、剣之介の今後の生き様の変化とともに描いていくのでしょう。いまは敵を倒したら姫の元へ行く、つまりは死ぬという選択肢しかない剣之介が、由希奈や周りの人たちと関わり、一緒に生きていくことにより、剣之介なりの武士道を見つけられるかどうかがこのドラマの鍵ともなってくるはずです。
日常を丁寧に描くことで非日常が活きてくるのはドラマの王道ですが、もし1クールだったらちょっとむずかしかったでしょう。2クールで大正解。
オススメ度:10点★★★★★★★★★★
幼女・由希奈ちょー可愛い。
茉莉奈先生はおっぱい要員でした。腐女子メンヘラっぽい。まー、いくらなんでも准教員がこんな水着着てたら常識ないと思われても仕方ないだろ。
ガリガリ君って、こんなに小さいっけ?
アイスが「当たり」だったのはエヴァだったかしらん?